2012/02/22

学生紹介:唐澤和也(修了生)

Q 自己紹介をお願いします。
A 唐澤和也と申します。「人を楽しませる事」を目的にアニメーション映画を制作しています。どうぞよろしくお願い致します。


Q 最近アニメーション以外でどのような作品と出会いましたか? 
A 黒澤明監督作品の「生きものの記録」を拝見しました。核実験を扱った映画なのですが、社会的なメッセージが強い映画でした。
当時、水爆の実験が行われており、人々は戦々恐々としたそうです。このような時代に「普通でいられる人間」と「核の恐怖から狂人と化してしまう人間」のどちらが真の狂気か。それは、黒澤監督が観客に投げかけた問題だと思いますが、答えは永遠にでないかもしれません。


Q 大学院で一番印象に残っている出来事や言葉などあれば教えて下さい。 
A 私は岡本ゼミに所属しています。岡本ゼミでは作品を教授と学生で討論をしながら制作を進めます。ゼミ内で「さらに作品が面白くなるにはどうしたらよいか」を考えます。次回のゼミまでに提案されたアイディアを取捨選択して作品に反映させます。ピクサーや昔の東映動画などではキャラクターやアイディアを制作スタッフで共有して出し合うそうです。そう考えると、プロダクション的な性質が強いかもしれません。他人の意思が介入する事を嫌う作家にとっては向かないゼミだと思います。ただ、「アイディアは価値がある」や「自分と他者では異なる視点を持つ」ということを十分に学べました。


Q 一年次作品と修了作品との相違点や挑戦したことなど教えて下さい。
A 私は「笑い」をテーマにして両方の作品を制作しました。一年次作品と修了作品で大きく異なる点は「言語の有無」です。バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションの両者によって、笑わせ方や笑いの効果・性質にどのような相違が生じるかを実験しました。

Q 本作品をなぜ作ったのでしょう?メッセージなどを聞かせて下さい。 
A 修了作品「浮世床」を制作した意図は大きく分けて3つあります。1つ目は、人々、とりわけ日本人に「笑い」を提供する目的です。震災後、制作者として自分が何が出来るかと考えたとき、誰もが共有して楽しめる「娯楽」を提供したいと感じました。「忘却」は人の能力です。一時的でも嫌な出来事を忘れ、家族や友人と「楽しい時間の共有」をして頂けたら幸いです。2つ目は、震災後の日本人に向けて1つの「願い」を込めています。修了作品「浮世床」には「不易流行」というテーマもあります。それは、昔も今もコミュニケーション相違はあるけれども、日本人の本質は変化しないということです。仲間同士で過す、何気ない日常の馬鹿話しが楽しい。そして、過去から現在、そして未来へと何気ない日常がずっと続くようにという願いが込めてあります。3つ目は、アニメーション映画の演出の考察です。アニメーション表現において技法・表現は多岐に渡ります。画一的な技法・表現のみでなく、多様な技法・表現を錯綜させることで人は何を「楽しい」と感じるかを実験しています。最終的には「笑い」に焦点を絞り、アニメーションの演出論としてまとめました。


Q 修士論文のテーマを教えてください。
A 修士論文のテーマは「アニメーションにおける笑いの演出論」です。人が「楽しい」を感じる要素として「笑い」「泣き」「感動」「怒り」等があります。その中でも「笑い」に焦点を絞りました。アニメーションの特性を考察した上で、どのような「笑わせ方の種類」があるかを分析しました。それらの「笑い」はどのような特性・性質が伴っているかを考えました。「笑いの演出」を考察することで、監督が映画を演出する上で必要な素養とは何かを導き出しています。ゆえに、「演出論」となっています。

Q 修了展のテーマが「TALK」ですが、あなたにとって「TALK」と「作ること」との繋がりについて教えて下さい。
A 「本物の黒澤はスクリーンの中にいる。今、目の前にいる黒澤は影武者だ」と影武者の記者会の際に黒澤明監督は明言しました。私の好きな言葉なのですが、非常に同感します。映画監督は自分のメッセージや思いを全て作品の中に込めます。そして、観客はそれらを受け取ります。観客にとってはスクリーンに投影された映像が全てです。後で監督がのこのこと出て行って、「実はこういう意図がありました」というような釈明は通用しません。そう考えると、「作ること」はメッセージや思いを映像言語に昇華する行為で、「TALK」は映画監督と観客の上映時間内で行われる「その場限りの対話」だと思います。




唐澤和也さんの作品「浮世床」はプログラム「第三期生修了作品 A」にて上映いたします。第三期生修了作品 Aプログラムは、横浜会場3/9から3/11、東京会場3/17から3/23に上映いたします。

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